むぎさん
インタビュー:実耶
今回インタビューさせていただいたのは
同じソーシャルアパートメントに住んでいるむぎさんです。
夢の国でテーマパークダンサーとして働かれたあと、現在はご自身のスタジオでダンサーを目指す生徒さんたちを教えていらっしゃいます。
実は02:00で書いたパーソナルカラーの話や
洗剤の話を教えてくれたご近所さんは
むぎさんで、
私にとっても、いつも目からウロコの考え方や情報を教えてくれるお姉さんなのです〜!
そんなむぎさんの魅力の秘密を知りたく、
ダンスやメイクとの出会いを伺いました。
△むぎさん
・・・・・
––––今は何のお仕事をしているんですか?
今はダンスの先生をメインにしています。
あとパーソナルカラーのアナリストと、
舞台メイクをしたり、教えたり。
あとは、ダンサーさんの商用の写真のヘアメイクに入って、ダンサー目線で喜んでもらえるようにしています。
––––本当にいろいろなお仕事をやってらっしゃるんですね!幼少期からききたいな、
今の世界に入るまでの経緯を。
私の母がダンスをしていて、ダンスをやらせたかったみたいで。
けっこうつかまり立ちしたときの記憶があるんですけど、洗濯籠の中に入れられて、私が立ったらおばあちゃんとかお母さんが手拍子をしてくれて、それに合わせて踊ってたんです。
母が「この子だったらたぶんダンス好きや」って思ってたみたいで、ちびっこバレエをやっていた。
2歳から小6くらいまで、ずっとわりと適当にしてたんですよ。(笑)
向上心も、好きも嫌いもない、金曜日に行くところ、みたいに思って行ってたんですけど、他の教室にも行きだした子が、ある日突然めちゃくちゃうまくなった。焦ったわけじゃないんですけど、うまくなるんや、みたいな可能性を感じた。
そこから意識が変わって、外に舞台見にいったりするようになって、ちゃんとやろうって思いはじめた。
自分で「変わらなあかんわ」と思って、中1でバレエ団直結のスクールに変えたんですよ。
衝撃でした。「私今まで何してたんやろう、周りみんなめっちゃ上手い」って。
そのときに気付いたんですよ「私バレエ向いてない」って。(笑)
––––のめり込みだしたところで(笑)
ちゃんとしたところに行ったことで、骨とか筋肉とか、構造的に生まれもって向いてないっていうのに気付いて。
その時からダンス好きやったから、ダンスを独学で勉強しだした。気持ちがダンスの方にどんどんいって、中学でダンス部に入ったんですよね。
中2の体育祭のときに先生が「真ん中で踊れ」言うてまん中にしはって、それを一つ上の先輩が見ていて。
その先輩は今東京シティバレエ団っていうバレエ団のすごく有名なバレリーナなんですけど、「ダンス習ってるの?」って声かけてくれはって「私もバレエやっててさ」って仲良くしてくれはった。
––––すごい縁ですね!
そう、その先輩が進学するときに「兵庫県の宝塚北高校の演劇科に入る」って聞いて「何それ?!」と思って。
調べたら高校の授業の中にバレエのレッスンとか歌のレッスンとかあって、しかも公立なんですよ。推薦でしかいけないし、偏差値が高くて「やばい」と思って。
宝塚北高校HP
私も行きたいと思って、めっちゃ勉強して入った。
っていうのも、私小6のときに父親が急死しているんですよ。だから高校は私立に行ったらあかん、と思ってて。公立でしかも学校内でできたら、外に習いに行かんでもこの中でダンスもバレエも、お芝居も日舞も狂言も習えるって思って選んだんです。
高校では毎日そういうことを学んで、人生で1番か2番にしんどい時期でした。世界一忙しい高校生だと思う。寝る時間とかない。
––––何で?!(笑)授業受けるだけで?
普通の高校生と一緒で、普通の科目もとらなきゃいけないんですよ。それプラスでバレエとかを習得しないといけない。
あと、授業の一環で外部公演や卒業公演のために、クラス全員で作品を作らないといけないんですよ。
朝練して、昼休憩も練習にあてたいから、みんなお弁当を朝の授業始まる前に食べる。授業受けて、昼休みになった瞬間にみんなで練習して、5・6限目受けて放課後また練習して。
下校して帰って21時くらいなんですけど、衣装作ったり、セリフ覚えたり、歌のテストの練習したり、やらなあかんことがいっぱいあった。次の日は朝練のために4時起きなんですよ。
しんどかった。自衛隊並み(笑)
––––そんな生活クラスみんなでしてたら、めっちゃ仲良くなるだろうな〜
めっちゃ仲良くなるし、めっちゃ喧嘩もしました。先生が仕込んでたんかなっていうくらい。(笑)
みんな本音でぶつかり合う。多数決も禁止やし、40人がちゃんと納得いくまで話合わないといけない。それも演劇科の決まりで。
いっぱい決まりがあった。公共交通機関の中で歌わない、躍らないとか(笑)
––––(笑)面白い高校ですね〜!
いつごろから踊りとかを仕事にするって気持ちでやっているんですか?
高2のときに高3の先輩で卒業と同時にUSJのダンサーになった人がいたんですよ。全然テーマパークとかショーとか知らなくて、「これ仕事なんや」って知って興味が湧いたんですけど、自分が踊りで食べていくのは無理だと思っていた。
自分だけが食べていけたとしても、母が働けないくらいおばあちゃんになったときに、私養われへんなと思ったんですよ。
今でも忘れないんですけど、高校の三者面談のときに、「美容学校行きたいです」って言ったんですよね。ダンスは現実的に無理だと思ったから。
進学校だから、先生とか親から全然応援してもらえなかった。
私全然勉強してなかったから、大学でやりたいことがなかったんですよね。
先生は「大学に行って、行ってる間にやりたいことを見つけるんや」って言ってたけど。
私ずっとメイク好きやって。いっつも机に人の目とか描いてアート描いてた。
美容師は国家資格だから最悪何かあっても食いっぱぐれることはないし、母親を養うって意味でも自分でサロンとかしたら何とかやっていけるなって。
常識的に考えたら私より母の方が早く死ぬから、後から絶対に責任転嫁できないじゃないですか。自分の尻は自分で拭くじゃないけど、「自分で全部決めてやる」って言ったんですよね。
それで美容学校の進学が決まった。
入学前に母に「再婚していい?」って聞かれたんですよね。私はもう「ラッキー!これで自分の好きなこと出来る!」って思ったんですよ。お母さんを将来どうするかってことをずっと考えてたから。
––––押し切ったんですね。高校生にしていっぱい抱えていたんだな。
めっちゃ考えてましたね。
美容学校行きながら、「そういえばテーマパークダンサーになった先輩いたなぁ」と思って、「国家資格は取るにしてもオーディション受けてみようかな」って思って。
––––美容学校に通いながらダンスのスクールにも通っていたんですか?専門学校って忙しいですよね?
割と高校の段階で寝る時間を削っていろんなことをやるっていうのが身に付いていた。だからいつも睡眠時間3時間とか4時間とかでした。学校行ってレッスン行ってバイト行って。
––––辛いってならなかったんですか?そうまでしてやりたくないって。
全然ならなかったですね、眠いはあったけど。
ダンスは好きやったし、とにかく上手くなりたかったんですよね。オーディション受けるって目標もあったし、自分が教わってる先生みたいになりたいっていう気持ちもあって。
美容学校も、高校の先生の反対を押しのけて行った手前「なんか結果ださないと恥ずかしい」と思ってたんですよ。
だから、ダンスの道にここから変わっていけたらとも思ってたけど、美容学校のことも全力でやってて、コンテストとかも3位に入るくらいまでストイックにやってました。なみはやドームってところでやるんですよ。
––––ドームで?!そんな大きいところで3位以内ってすごいですね。
そうですね、1000人くらいなのかな。練習めっちゃしてました。夢の国に進んでなければ、そっちの道に進んでたと思う。
––––テーマパークのオーディションは卒業のタイミングで受けたんですか?
専門学校1年のときに試しに受けてみたんですよ、どんなんかなと思って。当然のごとく適当に受けたもんだから落ちて。
でもそん時にテーマパークのオーディションってこういう感じかって思ったんですよね。
「じゃあ、あと1年これを頑張ろう」みたいなプランが自分の中で出来上がって、専門学校2年のときは、毎日学校とレッスン。
––––高校からずっと全力ですね。それだけやりきった経験があるってすごいな。
専門2年生のときに夢の国に受かったんですよね。
その段階では周りの人は進路について何か言わなくなったんですか?
全く言わなくなった、やっと。(笑)
やっぱ結果残さな言ってくる。
だからダンサー目指すにしても、美容のことを疎かにしてたら周りにも反対されたり「どうせ無理やって」って言われると思うけど、それ絶対言われたくないって気持ちがあったからそのおかげで頑張れた。
結果出せば誰も何も言わなくないですか?
––––そうですね。それが出来るのがすごい。そこに向かって努力できるのも。昔から出来るんですか?
ううん、高校から。全然できひん、宿題もだせんかった。(笑)
やりたいことしか出来ないみたいです。
それは演劇科の先生に感謝ですね。先生からしたら演劇を通じて人間性を教えるってカリキュラムだと思うんですけど、それがすごい自分を変えてくれたと思う。…
・・・・・
結果を残すことで目標を掴んでいく
むぎさん。(かっこいい..!!!)
(そして幼少期からお美しい)
自分を変えてくれたという高校時代の経験も、私にとって新しい発見ばかりでした!
後編もお楽しみに〜!
(6月12日に更新予定)
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