皆さんは自分の口癖ありますか?
意識して使ってみたり、使わないようにしてみたり、
自分が使うそれについて考えてみたことはありますか?
聞いてみたい。
日本語で話していた時は全く意識していなかったのですが、
「ちゃんとしなきゃ」という言葉がすごく多いことに
英語で話していて気づいたのです。
Neatly, Properly, Exactly, Have to, need to, shouldとかとか。
自分を強制しなきゃいけない事じゃないのに、使ってるんですよね。
しかも他人に対してもこの“ちゃんと”って使ってしまっている。
というのも、今妹と同居しているのですが、
例えば、彼女が片付けない、洗い方が雑、みたいなことが重なった時に、
「あーもう、ちゃんとしてよね。」
と言ってしまう。
でもここで使う、“ちゃんと”のさじ加減って当たり前だけど、皆違いますよね。
それは物事の捉え方の違いなのだろうけど、
これが、同居してたり、近しい人だとなんでだか、“ほぼ完全に”同じだと思ってしまう。
妹のお風呂場での整頓や掃除の“ちゃんと”の基準と
私の台所での整頓や掃除の“ちゃんと”の基準は
そんなに差がないとしてもやっぱり違うのです。
飛躍しますが、これが海外の人だったり、ベースが完全に違うと認識できる人で、
近づきたい人に対してや、近しい人に対してはきっと
自分の“ちゃんと”の中身を話そう、
と努力すると思うのです。
直近の私ならば、インド人の“ちゃんと”と私の“ちゃんと”が違うことを
分かって(認識して)いて、それを前提に話をする。
それは必然的に“あなた”と“私”の間にある隔たり・溝を感じながら
具体的に話していこうとする、と頭を働かせることだと思います。
これは“ちゃんと”の中身の話だけではなくて、
・一緒に何かを作る人とお互いの意見の底まで交換をすること
・パートナーと例えば、性について話し合うこと
・親と自分の生き方について話すこと
これらのようなことも入ってくるのだと思います。
ああ、書いているだけで
難しくて、そういうのを避けて楽な(あとから大変なのであろう)
コミュニケーションを選択している自分に気づいてしまう…。
自分や相手のスタンスをお互いがベースが違うと思って話すこと、
これを近しい人たちとも
お互いの意見を尊重することができたら
過ごしやすくなるのだろうなあ。
隔たりを意識して
隔たりの上に少しずつ橋を作って、相手にも作ってもらって、
橋の真ん中で出会うこともできるし、
自分が“えいや!”と助走をつけて隔たりを飛び越えて、
向こうにいる相手と話すこともできる、はず。したい、と思う。
“ちゃんと”をやめて、中身を具体的に話すこと、
相手の具体的な中身を聞こうとすること
ができたらいいな、と思うのでした。
早く梅雨が明けるといいな〜
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